死にたい奴は死ねばいい

やっぱおせっかいだったのかもしれません。
より戻せないし消えたいとか
ひとりのほうがいいとか
結局自分だけなんです。
相手を思ってない。やっぱただのガキでした。
「消えちゃえば」って10年前なら言えたかも。




死にたい奴は死ねばいい、なんてHPある頃散文に書いた。


原文まま以下のとおり。





「死にたい奴は死ねばいい 」



「そんな言葉発しちゃいけない。」
そうあるペイジに書いてあった。


でも果たしてそうだろうか?
死に急ぐ人を止めるのは悪いことじゃない。
むしろ説得できるならそうしたほうがいいのかもしれない。


だからと云ってそれでやめるくらいなら
「死にたい」なんて口にするべきじゃない。
消えるなら誰にも迷惑をかけず消えるべき。
そう思う。


死にたいという理由にはいろいろあるでしょう。
借金苦、生活への絶望感、ココロの病とか。
でも「死にたい」という言葉を口にする自体
自分の存在を世に示したい。
自分をわかって欲しい。
そんなココロの叫びを感じてしまうのは俺だけでしょうか?


与えられた個々の時間を強制終了するには相当の力が必要だと思う。
俺自身、「死にたい」と思ったことが無いわけで
そんな気持ちをわかってあげれない面が大きいけれども
もし実行するならきっと静かに行われるモノだろ思う。


だからこそ簡単に「死にたい」と発する人間には
「死ねばいい」と云いたくなってしまう。
それが引き金になったのなら俺は犯罪者になるんでしょうか?
同情はしますが賛同は出来ません。
俺は冷たい人間なのでしょうか?





自分を認めて欲しい、そのために同情を買うようなこと言うんでしょう。
当時から考えは変わっちゃいないけど少し情けが増えたのかな?
好意を持ってるからなのか?


どっちにしても半年以上してきたことは無意味だと思った、昨日の深夜でした。






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